クリパルヨガ教師、三浦まきこのブログです。日日の暮らし、子供との関わりや料理など。好きなことを好きなように綴ります。
新しい目
左右とも0.1未満の近眼(だった)私ですが、最近「新しい目」になりました。

誕生日が11月7日、117、レーシックを受けたのが2月27日、227。なんだか並びが印象的・・・。
トシも、今日は記念すべき日だ、マキのメが新しくなる!とか言うので、ホントそうだなという気持ちが高まりました。

実際、クリニックへ向かう間、頭の中には「銀河鉄道999」の星野鉄郎(だったっけ?)が浮かんでは消える・・・機械の身体じゃないけれど、人の手を使って目が見えるようになるというのは、どうもイメージ重なります。

なぜ赤外線を当てると近視が矯正できるのか、理屈は分からないのに、施術を受けると言う自分の行為が、不思議にも思えたし、実際施術を待っている間、こんなにまでして近眼を治したいと思っているのか、わたし?と自問したけれど、実際やってみて、やってよかったと実感しています。

まずは手術そのものの体験がおもしろかった!
角膜をレーザーでカットし、「フラップ」というのを作るのですが、その機械に目を押さえられると、ものすごくサイケな世界が広がるのです。どちらもみえる世界で、どちらもリアルなのに、何この違い?前後左右上下の感覚がなくなります。気持ちよくなってしまうくらいでした。

二つ目の機械で赤外線を当てられるほうは、感覚はないのに、目を掃除したりフラップ剥がしたりしてるのはみえるので、身体を内側から客観的に見ているみたいな感覚でした。若干、気持ち悪い。
ココまでは、身体と心、スピリットがそれぞれ自分の中にあるのを普段より意識しやすい体験でした。

しかしなにより、目が変わって大きかったのは、世界との距離感の変化です。

近眼の私にとって世界は、自分を矯正して、努力して見に行かなければわからない、自分から遠くにあるものだった。
それが、何も努力もしなくても、世界が自分の方へ広がってくれてるみたい。
自分の前だけでなく、真横や後にも世界が待っていてくれる感覚になりました。

受け入れられている感覚、安心感。

まだ視力はこれから安定するそうで、まだ焦点があいにくいところもあるけれど、新しい世界との関わりを楽しみに思えるのは、幸せです。

術後、しばらくはかすんで見えないのだけど、最初に目に入るものには、ヒジョーに意識がむきました。

おお!と思ったのが、はじめてみたテレビ画面(エレベーターの中)で「六根清浄」って言葉が説明されていたこと。
あんまり聞かない言葉じゃないでしょうか。
なんで今?と思いつつ、懐かしいローッコンショージョーっていう音を思い出してました。
やっぱり、どっかのタイミングで法螺貝を再開しなよってことかなぁ。
horagai.jpg

注*「六根清浄」は山岳信仰の実践の際、唱えながら歩く言葉で、唯一体験したことがあるのが、法螺貝吹きながら山を歩いたときだったのです。
スポンサーサイト
Posted by 三浦まきこ
comment:2   trackback:0
[Diary暮らしのしおり
図書館の本
地元の図書館をよく利用してます。

リマクッキングをはじめ、マクロ関係のレシピ本、酵母やベジタリアン食の本が、うようよあって、
行く度になにかしら、新しいのが入っていたりする。
なんでだろう? 藤野が近いからかな?

最近流行の麹のレシピ本も、リクエストしたら、すぐに到着・・・ありがとうございます。
shiokoujiamazake.jpg
まだ自宅に借りたままですが、そろそろ返さねば。
この本はオススメです。とっても美味しい料理が出来上がります。

それから、返却されたばかりの本や新着本の棚をチェックすると、時々すごく面白い本に出会います。

今読んでいる「ネガティブを愛する生き方」もそうだし、その前の「親鸞 下」もそう。
見かけて、惹かれて読む、という流れなのですが、これが実にいいタイミングだったりして。

「ネガティブを愛する生き方」は、私は個人的には、ココまですぱっと言い切ると気持ちいいなぁと思いながら読みました(笑)部分的には分からないこともありますが(神秘体験とか過去生とか)、善し悪しをジャッジしないで、感情を受け止めるということの意味が分かりやすく書いてあるところが助けになりました。

誰か、この図書館によく来る人の中に、非常に嗜好や意識状態の似た人が、いるんじゃないか、、、という気さえします。

Posted by 三浦まきこ
comment:0   trackback:0
[Diary暮らしのしおり
鎌倉と親鸞~破戒坊主~に学ぶ
金曜日、ヨガの仲間が高じて、いまやほぼ親友のえりこと鎌倉へ行った。

様子はえりこのブログに、美しい配置の写真と言葉と共に綴られているので、そちらをご覧頂きたい。
くらもとえりこ feel yourself, feel the universe

鎌倉という場所の暖かさ、美しさ、洗練された感じ、余裕、美意識、歴史など、色んなものが目がくらむくらいまぶしくて、出かけていた時間は、まったく「あっという間」だった。
えりこは話を良く聞いてくれて、私はいっぱい毒も吐けて、とっても楽しんでいた。友達っていい。

なぜかすごく行きたかった、銭洗弁天。
岩から湧く水、岩を掘って作られた祠、こういう場所によく行くことになるなぁ、と思う。
龍をみつけて、やっぱり居た!みたいな。
写真
ずっと離れたいたマントラを自ずと思い出す。
サラスヴァティ、日本で言えば弁財天のマントラが、あれから何かと浮かんでくる。

一転、山梨は雪。水仙の芽もまだ出て来ない寒さのなか、家へ帰れば当たり前に家事があり、子どもは突然胃腸炎?らしい体調の変化に襲われたりして、私は家から一歩も出られなくなったりする。

なんかね、ギャップがすごくて、鬱っぽくなりました。

あのキラキラした、ワクワクした日常は実際そこにあるのに、この何となくがんじがらめな感じはナニ???みたいな。

ちょうど図書館で目についた五木寛之著「親鸞 下」を読んでいて、仏教の教えとか、親鸞が伝えたかったことを理解するには、ぜんぜん研究が足りないのだけど、

良き母
良き妻
良きヨガティーチャー
良き先輩
良き経営者
良き保護者

他にもいろんな「こうあるべき」姿に自分がほんとうには、当てはまらないことが、不安のもとになってるみたいだなぁと、なんとなくおもった。

結婚したら夫以外の人と外に出かけて楽しむなんて、あんまり堂々と出来たもんじゃない、と言うようなところが、私にはあった。でもそれを実際やってみたら、めちゃくちゃ楽しくて、それが無い日常にうんざりするなんて、これじゃ良き妻失格だなぁ的な感覚が、あったのでした。

親鸞は、世の人すべてが「これがなすべき道」としているものを一切合切、壊していった人だと言われる。
坊さんなのに妻帯し、子どもも持ち、魚も食べたらしい。
壊しきって俗世の人たちと一体となろうとするのだけど、それでも彼の学識や僧としての経験が、彼を普通の人と同じにはしてはくれない。その微妙なバランスが、浄土真宗のミソだと、吉本隆明さんが「ほぼ日刊イトイ新聞」で話されていた。

全然、レベルが違うけれど、つい自分のことを考えた。
私は40を過ぎても「私にはこれがある」という確たる自信がなく、まったく普通の女だ。

そんな私が、良き妻、良き母、良きヨガティーチャーであろうとすることの矛盾。

そこに気づいたら、そんなもんだね、それでいいじゃないって思い始めた。
親鸞がよく言っていたと伝えられる「そういうこともある、それでいいじゃないか」という言葉が、いやに骨身に沁みる(笑)

クリパルヨガでは、先生は偉くて何でも知っている、なんて振りをするのはやめなさいという。
正直に、リアルにあって、生徒と共にいなさいという。

そうやって歩き続けていれば、「今この自分のままで、すでに悟っている」という仏教やヨガで言われていることの意味に近づいていけるのだろうか。

40過ぎると、自分の限界が見えてくる。自分の心がすけてみえてくる。
でもそれは悪いことばっかりではない。
開き直るのとはちょっと違う、力の抜いて生きる可能性もみえて来て、それが「今を生きる」ってことに、繋がっていけばいいな、という希望になりそうだ。
Posted by 三浦まきこ
comment:2   trackback:0
[Diary暮らしのしおり
Can I talk to you now?
昨日、夫が仕事から帰宅。出張に出かける前は2週間ほど、インフルエンザにまつわる体調不良で臥せっており、夫が元気なときは私が度々調子を崩していた。

だから、向かい合って、心の中に起きていることを相手に聞いてもらったのはすごく久しぶりだ。

クリパルヨガには、意識的コミュニケーションの練習が含まれている。
ヨガの場での練習が、実生活にそのまま活用できるが、生活の中にはヨガの場にはない、複雑な状況がある。

忙しくしているときや、相手が他のことを考えている時、話そうとしてもうまくいかない。

Can I talk to you now?

だから、そう聞いて、相手の許可をもらってから、話をするように、と習う。

「今、マキはボクにそう聞いてくれたから、ちゃんと聞く体制に入れた」と夫は言う。

でも、そう言ったからといっていつでも、受け入れてもらえるわけじゃない。(当たり前だが・・・)

人間にはまず自分の都合があり、それぞれが大抵は別々のところにいるんだよなぁ。と私は思う。

だから、本当に誰かとコミュニケーションをとりたいと思ったら、そこには忍耐が必要。

No, I cannot now. 今はダメと言われた時に、それに反応して、もういい!と背を向けたら、それでおしまいだ。

そのままにして、待っていられるかどうか。
恋とは違う、愛は、このプロセスを分かち合おうとするかどうか、なんじゃないか。

ほんっとに希でも、ちゃんと向かい合って話ができる機会が持てると、結論が出るかどうかなんて関係なく、すごく心のバランスが取れてくるのは、不思議だ。何も変わっていなくても、そこに自分が居ていいと思えるようになる。

これって、愛じゃないのかな。

【今、話せる?】「いいよ」という時の夫は、今まで付き合って来た男性の中の誰よりも、話を「ただ聞くこと」がウマい(と私は思った)。

人生は短い。
でも、時折人との関わりあいの中で訪れる暖かな瞬間を、紡げるだけの気の長さを持ちたい。
Posted by 三浦まきこ
comment:2   trackback:0
[Relationship夫と子供との暮らし
足し算と引き算、表と裏
この所、いたって適当に食事をすませる日々が続いていた。

よし、週末は子どもとふたりだし、自分のためにもちゃんと料理しよう!と思って
子どもに食べたいものを聞いてみたら、「おにぎり」とか、「おかゆ」とか・・・

リクエストに応えていたら、料理をするというより、むしろしない週末になった。

しかしそれが、良かったみたいだ。

ふたりとも良く眠り、機嫌よく、穏やかで落ち着いていて、
朝食べたお粥が空っぽの体の中でエネルギーに代わるのが、よくわかる。
それが、震えるくらい気持ちよかった。

シンプルな食事は、手間がかからず、作るのも片付けるのも簡単。消化も楽だから、体も休む時間が長くなる。

何か良くないな、と思うと、足りないから足そうとするのが、習性になっているようだ。
足し算より引き算、そちらがぴったり来るときもある。

そろそろ梅干しが残り少なくなって来た。
紫蘇を干して、ゆかりを作ろうと思う。この広げて干す作業は、落ち着いているときにしかやる気になれない。
yukarihosi.jpg
伊予かんの皮も、風呂へ入れるため、一緒に乾燥させる。
水分を飛ばし、腐敗を避け、香りや風味、エネルギーを凝縮する。

もちろん肌は乾燥すると、かさかさしてしわも増えるけどね。
加齢、老いにも、表と裏の両面があるのだろうな。

陽の光の下で乾燥し、水分を飛ばしエッセンスを凝縮する紫蘇をみて、自分の老いを想う。。。オツな休日です。


Posted by 三浦まきこ
comment:0   trackback:0
[Diary暮らしのしおり
人生の後悔トップ5
フェイスブックで「死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5」の記事を読んだ。

人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、オーストラリアのBronnieWareさんによれば、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。また、患者たちが語る後悔には同じものがとても多いとのこと。

その第一位は、「自分自身に忠実に生きれば良かった」
「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔。Ware さんによると、これがもっとも多いそうです。人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づくのだそう。ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。(サイトから抜粋)

もっと読みたい方はこちらをどうぞ。http://youpouch.com/2012/02/06/53534/

つい最近、私は、親しい友達へのメールに私はこんなことを書いていた。

35歳くらいまで、私は自分のやりたいように生きて来た。
だから今、家族がいて、子どもが小さい状況下で、人のために生きることを身を以て体験してるんだと思う。

というようなこと・・・微妙なんだけど、気をつけなくちゃなと思った。

私は、人のために生きるとしても、それを、人のせいにはしたくない。
それすらも、自分の選択であり、意志であるなら、後悔はしないですむかもしれない。

ただ、漠然と世間とか「みんな」の望みに合わせるために、今を生きるのは嫌である。

微妙なんだけど、そこの差を知っていたいと思うんだ。
Posted by 三浦まきこ
comment:0   trackback:0
[Diary暮らしのしおり
男と女
お産した時も、生理のときも、うちの夫は私に言う。

「いいなぁ、女性は浄化が出来て」

今年が明けてまだほんの1ヶ月だが、男女の違いを夫婦間で強く感じた。

このひと月、私は、ほぼ毎週末になると、吐いたり、熱を出したり、ひどい鼻風邪を引いたりと調子を崩していた。
そのくせ、金曜の下北沢のYoga of Lifeでのクラスには、毎週けっこう元気に出かけていた。つまり、一旦回復するのだ。

一方、夫、徒志郎。
滅多に体調が悪いなんて言わない。むしろ、「倒れるわけにはいかない」と気を張ってがんばっている。

しかし、先週末東京に泊まって、帰って来た夫は寒気や喉の痛みを訴え、月曜の午後には私にも似たような症状があった。

夫婦揃ってヤバい感じなので、子どもも巻き添えを食って夜7時に就寝。

私は内心「またか、次は喉か」程度の感覚で、喉の痛みを瞑想の対象にして、感覚を感じては吐きそうになりながら、普段はあまりやらないのだが、高い体温で活性化したMy白血球たちが、喉の異物を食べてるところをイメージして、うつらうつらしていた。どうなるか、ちょっと試してみたくて(笑)

その晩10時過ぎには、熱がでて、汗もでて、翌日朝には、若干のどの痛みが残るだけまで回復。

一方、夫は「昨日と変わらない」。喘息を心配して受診した病院での検査結果は「インフルエンザ」。
私は陰性だった。

念のため、タミフル飲んだけどね。私は今のところ、むしろ元気になって来ている。
夫は、熱が下がって既に2日経っている。それでも吐き気やだるさ?が続いてるようだ。

男は、ためられるだけためる。周期的に外に出したりできない。一旦崩れると、なかなか元には戻れない。

女は、たまると本能的に発散しようとする。あがったりさがったり、波打つから、ちょっと見には不安定に見えるかもしれないけれど、長続きするようにと自浄を続ける。生理もそれを手伝ってる。

男女って違うなーと思ったのでした。

互いに補うあう意味も、だからこそあるのかもしれない。

それに、近代は、性別に関係なく、男性性と女性性が、互いに絡み合って存在せざる得ない状況の人も多いんじゃないだろうか。
私は、今でこそ主婦で母の立場が多いから、女性性前面に出てますけど、独り暮らししてた頃や、今後も仕事に責任持つべき時を思うと、男性性が前に出るだろうと安に想像できますもん。
男性性と女性性のバランス・・・とても奥深いテーマです。

この夏、クリパルセンターで「ウーマンズヨガ」の教師トレーニングを受けます!(と心に決めています)
私は過去、ずっと女性だったと、ある霊能者に言われた事があり、だからと言うわけでもないのですが、
女性もつ力や独特のエネルギーに注意を向けろと、自分の存在の深い部分でコールが聞こえます。(いや、私は霊能力とかないですけど)
トレーニングを受ける事自体、5年ぶりだし。楽しみです。
Posted by 三浦まきこ
comment:0   trackback:0
[Diary暮らしのしおり
| HOME |