山梨県でのクリパルヨガのクラスやワークショップについて。自然育児や料理などのコラムも。
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Posted by 三浦まきこ
 
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ぎっくり腰ー反応と気づき その四
ぎっくり腰ー反応と気づき その参の続き

YTT(クリパルヨガ教師トレーニング)のリトリートでは、数日、沈黙を守って過ごす。
その中で瞑想し、自分に起きている思いや反応に気づき、あるがままにみる体験を深める。

リトリート最終日の朝の瞑想で、トシのリードにしたがって、意識をコントロールしているときのこと。

今、ピラミッドセンターで瞑想している自分と、自宅で炊事でもしているであろう実家の母、その母を向かえに来るため車を走らせている父、幼稚園で過ごしている息子の存在を、同時に、すぐ近くに感じた。

距離は、離れている。
ても、同じ時空に存在している。
そのことで、みんな一緒だと感じられた。
Oneness. かっこ良すぎて、あまり使えない言葉だったけれど、そう言う感覚だった。

家族や友達、恋人と、一緒にいられないと寂しかったり不安になったりして自分を見失うほどだった10代、20代の頃の自分を思い出した。

「離れているけど、心は一緒だよ」

って、ある意味聞き古した感もある表現だが、それってありうるんだ〜って(笑)


そして、うちの家族1人ひとりの小さな忍耐や努力は、今、このYTTプログラム実現のために注がれている。
きっと一緒に座ってるYTT生やアシスタントにも、このことのために、エネルギーを注いでくれてる人達がたくさんいるんだろうな。

そう思ったら、なんか、安心して、とてもありがたくて、うれしくて、涙が出た。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2013年のゴールデンウィークは、きっと記憶に残る日々であろうと思います。

リトリートのあと、数日で卒業していったYTT生と共に過ごした体験の中で、私が体験させてもらったのは、存在することの持つエネルギーです。それは責任の放棄ではなく、責任を自覚し負った上でも、すべての人同士が互いに学び合い、ただ在るから与え合える力強さです。

YTTを終えてしばらく経って、私は今まで以上に、人から学び、興味のあることを探求することに躊躇なく向き合っていける思いでいます。

一般に「先生」と呼ばれることを仕事とするひとりとして、このことはとても大きな意味があり、人生の楽しみや味わいを深くしてくれると感じています。

5月は、私にとっては、バラと芍薬の季節です。
sirobaras

そして、同時に、研究したいと思うトピックに恵まれた芽吹きの季節になりました。

Jai Bhagwan.
あなたの内なる神性に敬意を表します。
Namaste.


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Posted by 三浦まきこ
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[Yogaヨガのこと
心が料理の味を決める?!
勝手に連載、の合間ですが、今日作ったきんぴらごぼう、みてください!

kinpirayou

いつもの「きんぴら」との違いは、家族にしか分からないでしょうから、種明かししますと、、、

「細かい」

のです。(これでも・・・)

細かくするという行為は、陰陽で言えば「陽」だと、先日「おだやか家」という食の活動をしているハルに教えてもらいました。

最近、ぎっくり腰の後遺症が辛くて、夫に「操体法」というのを施してもらってるのだが、昨夜施術の時に、「力を入れて」といわれても、力が分散しちゃって、うまく入れられず、3回目くらいで「今の上手」とほめらた。確かに、その時は「集まった」感じがあり、、、こういうことは、普段やってないなぁと思ったのでした。

お産のときも、陣痛を逃がす(リラックスする)のは難なくできたが、イキムところで難儀したっけ。

力を入れることは「陽」。

私は、行為の中に、陽のエネルギーが少なすぎるのかもしれない。
そう思うと、小さい頃からそう言う傾向がある、、、力一杯向かっていくと、あまりよくないことが起こるというトラウマ的体験でもあるのか・・・うむ。体調不良の時も、症状は陰性だしな。

そんな中、今朝、思いつきで断食を始めた。
できたら3日、でもあまり気にせず様子を見よう、くらいの気持ちで。

結局、子どもが幼稚園から帰って来たら、断食を続けるのが何とも不自然に思えて、半断食で終えたが、
家族の朝食とお弁当を作ってから、夕飯まで、何も作らなくていいわけで。
ヨガや瞑想の合間に、家事もやったし、仕事もした。そして、すごく短時間だが、どれも集中した。

その後、夕食に作ったきんぴらが、

この細かさ。

断食、瞑想、ヨガをして、半日ひとりで過ごしたら、心が変化したのだろうと思う。

落ち着いて、細かくごぼうを刻む時、いつもよりそこに留まって、その行為に集中してた。
これに人参も足したら、もっと美味しくなるだろうな、という気持ちで、人参を洗い、刻んだ。
いつもの「めんどくさーい、早く終えたい」ココから別のところへ行こうとする心のあり方とは違った。

心が、行為を決めるですねぇ。しみじみ。

細かく刻まれたきんぴらは、大雑把に切ったときよりも、何となく優しくて、シンプルでも満足できる、とても美味しい一品になりました。

Jai Bhagwan.
Posted by 三浦まきこ
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[Food自然食
ぎっくり腰ー反応と気づき その参
ぎっくり腰ーその反応と気づき その弐の続き

山梨でのYTTリトリートは5泊6日。
私はちょうど前半3日はほぼ自宅安静で、後半3日は朝から晩まではピラミッドにいたことになる。
その最後の晩に、手伝いに来ていた母に急かされて、息子にこう告げた。

「明日から、お母さんとお父さんは今度は東京で仕事だからね。しばらくおばあちゃんといっぱい遊んで待っていてね」

息子は指折り数えて、「9回も寝ないとお母さん達は帰ってこない」とどう数えたらそうなるのか分からない主張をして(実際には5日間、、、それでも、長いわな)、それっきり何も言わず、ふてくされて寝てしまい、そのままベッドへ運んだ(正確にはトシに運んでもらった)。

・・・が、案の定目を覚ました。

そして、ものすごい勢いで泣いた。

何が悲しいのか、言葉にならない様子で、涙、鼻水、よだれまで垂らして。
泣きは、エスカレートしていく。

時々あるのだ。
何をしても何を言ってもどうにもならないくらい泣いて、自分でも止められなくて、苦しがることが。

温かい気持ちでそばにいて、十分泣かせてやろうとか、そろそろいいかなという頃に、あれこれ話しかけたりして、気分を変えようとするが、まったく効果なし。そうなると大抵、イライラが募って、私の方がそこにいられなくなる、というのが、いつものパターンだった。

これがね、、、YTTの影響でしょうか。
ぎっくり腰の影響でしょうか。
いや、きっと両方でしょう。

私はその「泣き声」から意識を離そうとするのではなく、もっと強くて揺らぎないものに、心を集めてみようと思った。
プラテイヤハーラだ。

呼吸じゃうまくいかないから、それより、もっと私にとって大切で繋がりやすく、強いもの。
軽い恥ずかしさを感じながらもはっきりと、そのときは、「愛」しかないね、と思った。

愛に繋がっていようと、強く意図したら、それがものすごく、うまくいった。
yasuband
泣き止めない子どもの思いが、妄想かもしれないけど、想像がついた。
ぎっくり腰で動けない状態の私への甲斐甲斐しいお世話の三日間、この子は、とても幸せそうだった。
そのあと、動けるようになって喜ばしい反面、寝る前にちらっと顔を見る程度しか会えなくなって、寂しかったのだろうな。
この仕事が両親にとってはとても大切だということは分かっているから、「寂しい。行かないで」って言えないのだろうな、って。

子どもが泣いている状態は変わらないままでも、

イライラしないですむなんて!!!

状況に巻き込まれているトシや実家の母にも、反応からじゃなく愛に繋がって、必要なサポートを頼められた。

そしたら、現実的でもっといいアイデア、可能性が出て来たのだ。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

こんな時には、愛に繋がればうまく行くとは、簡単には言えない。

その時たまたま、♡が全開だっただけかもしれないし、今度同じ状況になった時、うまく行くかも分からない。

でもね、たった一度であったとしても、体験したことがあるってことが、私には非常に貴重なことなのだ。

続く(次は最終回、インテグレーションです)
Posted by 三浦まきこ
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[Yogaヨガのこと
ぎっくり腰ー反応と気づき その弐
ぎっくり腰ー反応と気づき その壱の続き。

自力で立てて、歩けて、ある程度座っていられるようになってから、YTT(クリパルヨガ教師トレーニング)のリトリートにアシストに戻りました。

みんなと一緒に瞑想して、ヨガのアシスト(腰がひけてるから、難しかった)もできる範囲でして、トシの講義を聴いてたときのこと。とても印象に残る話しを聞いた。

内容は、プラティヤハーラ(制感)について。

ある感覚から、意識を引き離すことの方が、難しい。
むしろ、例えば、「呼吸」とか、何かに意識を集める方が、簡単だ。

と彼は言う。

その話しを聞いて、一番に「こどもの声」についての自分の反応を思い出した。
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わたしは子どもの泣き声や、絶え間ない大きな声に、反応しやすい。
自分でも気づいているのだけど、音に対して反応が強いようで、つい強い口調になったり、カッとなったりすることがある。

少し落ち着けば、子どもが音量調整したり、論理的に話したりできないのは当たり前だと分かるのだけど、「反応」しちゃうわけで・・・子育て5年めになっても、どうにも、うまくいかなかった。

そんでもって、わたしのこの反応が、子どもを怯えさせていないだろうかと、時々考えては自分に怯えたりしてた。

私にとっては、「子どもの声」とか「テレビの大きな音」のような音のある状況で、【プラティヤハーラ】制感することは、ほとんど無理のように思えた。

その日食事しながら、トシやアシスタントの圭ちゃん、文ちゃんにその話しをしたのをよく覚えている。

そこで呼吸してみたら?と流れ的には思うのだけど、いや、それでは落ち着けたことはない、のだ。
「どうしたらいいんだろう・・・」と普通に分からなくなってるわたしに、トシが何か言うかなと思ったら、

「ボクからは、なにもいうことはないな」

だって。

その問いを心のどこかに抱えて、YTT後半、リトリートは始まりました。

YTTとはすごいもので、アシスタントにも、起こるべきことが起こるのでした・・・続く。



Posted by 三浦まきこ
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[Yogaヨガのこと
ぎっくり腰ー反応と気づき その壱
ヨガをはじめて、19年目。

ヨガしていても、ぎっくり腰にだってなるんだ…、傲慢になってはいけないと、身を以て知ったGWでした。

ぎっくりという音の印象とは違い、突然来るわけではなく、ジョジョにきました・・・そして、一旦腰が抜けたようになってからの、ものすごい痛みったら!まるで陣痛のようじゃ・・・

ヨガには、腰が痛いとか、ぎっくり腰を繰り返すという人がよく来るけど、ああ、こういうことなんだねと、今ならよーくわかります。辛いよね・・・共感しまくります。

タイミングがまた、すごかった。

私のしている仕事の中でも、年に1回か、2回のもっともエネルギーを注ぐ仕事が「クリパルヨガ教師トレーニング(YTT)」。今回は、久しぶりにフルでアシストに入れる日程だったので、去年の年末から、すべてを捧げるかのように(笑)打ち込んできました。

その後期プログラムが始まる前日夜中に、ぎっくり腰。おい。
空には満月。

否応なく、休めと大きな何かが言ってるなと、思わざるを得ない状況でした。

夫に針をしてもらって、初日オープニングは奇跡的に顔を出せましたが、その後数日、自宅で安静。
実家の母が子どもの世話のためこちらへ来ることになっていたので、なんだか、ちょうどよかった。
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その頃のハイライト。

ぎっくり腰(とその時はまだしらなかったけど)になった翌朝、わたしがいつも通りに起き上がってこないから、5歳の息子が、大泣きしました。

子どもの泣き声を聞いていても、体を動かすことも、起き上がることもできない。

私は、横になったまま、一緒になって泣きました。
夜中、すごい痛みと冷や汗みたいなのをいっぱいかいても、泣きはしなかったから、やっと泣いた感じ。

そして夫に一言「役に立てないと、生きてる意味がないって思っちゃうんだよね」って思わず口走りました。

その自分の言葉を聞いて、わたし自身ぎょっとした。

そう言う思いで生きてたのは、薄々知ってたけれど、こころの奥で、今でも、そう思ってたんだ、わたしってって。

思わず口走る言葉ほど、無意識の叫びを代弁してるものはないんじゃないだろうか。

グズグズ泣いていた子が、その後甲斐甲斐しくトイレの世話までしてくれて、介護してもらいながら、過ごしたのでした。

この話しは長いです。
続きはまたこんど。



Posted by 三浦まきこ
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[Yogaヨガのこと
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