山梨県でのクリパルヨガのクラスやワークショップについて。自然育児や料理などのコラムも。
卒園
子どもの4年間の幼稚園生活が終わった。
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最後の遠足、最後のサッカーの試合、最後の大掃除、最後のお弁当と最後の○○が続き、とうとう今日が卒園式と卒園を祝う会。
担任して頂いた先生からの言葉の中に、「入園時からの子ども達の成長を実感すると、自分はどれほど、変わっただろうか、子ども達ほどには変わってはいないのではないかと思う」というお話があった。

わたしは、それと全く同じことを感じていた。
4年前、満三歳で幼稚園に通い始めた当時、息子はまだおむつをはいていて、言葉もほとんど話さなかった。
最初に担任してくださった先生が、半年、一年経って幼稚園に慣れ始めた頃に、「あ、やっちゃんがしゃべった!」って嬉しそうにおっしゃってたのを思い出す。
それが今では、普通に会話して、トイレはもちろん、寝るのも起きるのも、食事も着替えも自分でする。
そんな子どものあからさまな成長の結果を見て愛おしい気持ちになりながら、ふと、同じ4年を私はどう過ごしたのだろうか、と寂しさのようなものも感じたのであった。

大人になると、子どもほど、はっきりした成長を感じることは無論ない。
そのことを子どもに伝えたある夜、「お母さんは、毎日ごはんを作ってくれたし、お弁当も作ってくれたよ。バス乗り場まで送り迎えしてくれるし・・・(中略)お母さんが助けてくれるから、こうやって色々できるんだよ」と私を喜ばせようとか、元気づけようとかいう意図すらなく、至極普通に当たり前のこととして、わたしのしてきたことを言葉にして伝えてくれた。わたし自身が価値を与えられなかった「当たり前のこと」こそが、子どもにとっては、かけがえのないことだったのだと教えてくれた。

人はその役割を少しづつ変えながら生きているように思う。
子どものように顕著な変化は大人にはなかなか起きないかわりに、親は、子どもが自分のペースで育つための、安定したベースになってやることができる。

まるで、一粒の稲が育ち、実を付けるために、太陽や雨などの自然や季節の移ろいが背景でその成長を支えるように、ひとりの人が生きるには、他の人の裏方的な繰り返される行為が実体的な支えとなっている。そして、稲の成長に比べたら、見逃してしまいそうだけど、自然も常にどこかしら変化して、自らを育んでることを忘れないでいたい。

私は、当たり前のことを繰り返すことの尊さを思う。
子どもが毎日寝て、食べて、排泄することができるように、これからも、毎日同じことを繰り返していきたい。
そして、同じことの繰り返しのようにおもえるルーティーンの中にある、微細な違いや変化に注意を向けていたい。

人生の節目で、あるひとつのルーティーンは終わり、そこには寂しさが伴う。
でも、義理の母のお得意の言葉を借りれば「終わりが着く」のはいいことのようにも思う。

今日はひとつの節目。
これからは、子どもが大人になっていく過程を見守るなかで、今までとは少し違う不安や戸惑い、そして喜びや信頼を感じることになるのだろう。

そこからわたし自身が得るものは、わたし個人が何を為すかなどを優に超えた、大きなものになるという直感がある。
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Posted by 三浦まきこ
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[Diary暮らしのしおり
夫への手紙
少し前ですが、夫の誕生日に手紙を書きました。

その時のことをYoga of lifeの月額制「マンスリープラン」参加者向けのメルマガ(3月号)にコラムとして書いています。
会員以外は読む機会がないメルマガですので、コラムだけ抜粋。
3月のテーマは「自他を客観する力を養う」でした。
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欲しいもののない人の誕生日を祝うのは難しい。物欲のない夫の誕生日を前に、その日をどう過ごそうかと考えあぐねていた。
そんな時、女友達に「私はお花と手紙を渡してるよ」という話を聞いた。

そういえば、手紙なんてここ数年書いていない。メールは頻繁にしているのに、便箋に手紙を書き、封筒にいれて渡すという所作そのものが、とても新鮮に感じる。手紙を書こうとしたら、誕生日という日に相手の何を祝いたいのか、私は何を伝えたいのか、ちゃんと考えないと書けないという当たり前のことに気づき、それまで、何かプレゼントしないと悪いような気がしたり、相手が寂しがるのは嫌だという自分の気持ちばかり考えていたことにも気づいた。

誕生日に手紙を書くという試みは、私が夫の存在をどう感じているかということに時間と気持ちを向けさせてくれた。そうすると、日常生活での自分の態度に改めて気づいて反省し、さらには、今目の前にいる人も、そして私自身も、一寸先にはどうなるか、本当のところは誰にも分からないという危うさと共に生きている、だからこそ、互いに健康で無事に日々を重ねられていることに感謝して、誕生日を祝いたいという気持ちの確認にもなった。

誕生日前夜、やっと手紙を書き終えたあと、仕事から帰って来た夫を迎えた。
私の顔を見るなり、『なんか、いつもと違うね、何かしたの?』と問う。
その日は化粧すらしておらず、変わったことと言えば、手紙を書いたくらいだと仕方なく答えたら、夫曰く、『いつもと違った雰囲気が漂う』のだそうだ。

毎日の生活や人間関係について客観的に見直した上で手紙を書いたつもりだったのだが、それによって相手に向き合う自分の態度まで変わっていることには気づいていなかった。そして、夫がこんな微細な変化に気づくような人だったと分かって、改めて驚いた。

客観視というのは難しいものだ・・・また来年の誕生日には、夫への手紙を書こうと思う。

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Posted by 三浦まきこ
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[Relationship夫と子供との暮らし
菜食主義と給食
この春、息子が小学校に上がる。

それと同時に始まるのが「給食」。

昭和45年生まれの私が、小学校に通っていた頃は、皆が同じものを食べなければいけない、残さず食べるまでいつまでの食べさせられる、というのが「給食」で、私はそこで、嫌いなものを噛まずに飲み込む技を習得しましたが(笑)

そんな記憶があるからか、給食どうしよー!?とこの数ヶ月、思い悩んでいた。

なぜなら、我が家は基本的に菜食主義。牛乳も、ほぼ飲まない。
とはいえ、魚は時々食べるので、かなりゆるいほうなのだが、近所のお母さん友達に聞くと、給食はやはり肉が入ったメニューが多いそうだし、牛乳は医療機関の証明書をつけて、書類を提出すれば、お茶に変えてもらえる、と案内に書いてある。

子どもが肉や牛乳に対してアレルギーがあれば、話は簡単だが、アレルギーかどうか調べるとなると「血液検査」が必要とのこと・・・子どもの血液検査には、親は立ち会えないとか、動かないように体中しばられるとか、色々調べて出て来る情報を見ていたら、給食のために血液検査するの嫌だなって思い始めた。

あれこれ考えた末、学校に行って直接相談することに。

正直に話したら、至極普通に、「無理をして食べなくても大丈夫。ただおかずが足りなくなるようなら、代わりのものを持たせてください」と言っていただけた。

ああ、よかった。
子どもの学校の先生が柔軟に対応できる人で、助かった・・・

こう言われたらどうしよう、ああいわれたらこう返して、とあれこれ考えていた間のストレスは、今思えば「杞憂」の2文字・・・直接会って相談したら、全く想像と違ったわけだ。


似たようなことが、他にもあったよなと思い当たった。

・思い悩むのを脇へ置いて、話してみる。そっちの方が実は厄介ごとを簡単にしてくれる。
・対策をねって防御しようとしなくてもいい。ただ、事実を確認して、自分は何を伝えたいのか分かっているようにしよう。
・相手の反応はいつも、想像とは違う。

そんなことを確認させてもらったプレ給食体験でした。
Posted by 三浦まきこ
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[Relationship夫と子供との暮らし
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