クリパルヨガ教師、三浦まきこのブログです。日日の暮らし、子供との関わりや料理など。好きなことを好きなように綴ります。
ひとり一人、だけど一緒にいる
現在、下北沢にあるYoga of Lifeでは、マタニティヨガクラスはなくなってしまいましたが、実は、普通のヨガクラスに参加する妊婦さんもいらっしゃいます^^
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クラス後、お二人の妊婦さんと一緒にパチリ☆

先日のクリパル・ジェントルのクラスは、妊婦3名(中期一名、後期2名)、男性2名、未婚者既婚者、スタジオ初、御馴染みの女性10名の混在クラス。これが実に、人間として生きること、多様性の中で生きる面白さを感じさせてもらう場だと感じました。

だって、体の作りも状態も、みんな違うしね。
同じポーズをとろうったって、同じにはならないし、ペースも人によって違う。

でも誰もが、食べて排泄して、寝て起きて、生きてるわけで。
絶対に女性の胎内から生まれてきた同類なわけで。

だから、『自分の中で起きてる体の感覚、呼吸、心のあり方に注意を向けて、自分と繋がる』っていうヨガの基本的な目的をそれぞれに共有して、『みんな違うけど一緒に』クラスを進めていけることが、とても楽しかった。

多様性Diversityという言葉を聞いたことがありますか?

私はアメリカにあるクリパルセンターで500hのプログラムを受けた時に初めて聞き、多民族国家であるアメリカでは非常に盛んに、取り組みが進んでいるんだなという印象があったのですが、比較分類学者によれば「日本は、同質を重んじる文化」で、例えば、村八分という言葉は耳には古く聞こえるが、今もどこかで、依然としてあるようなことを思い返せば、確かにと思う。

日本語の『違う』には、『異なる』という意味と『間違っている』という2つの意味があり、『異なるのは悪いこと』という価値観が根底にあるのだと言う説明を読んで、なるほど、と思った。

だからこそ、この日本で

自分自身でいていい

人と違っていい

自分と繋がって、本当の自分自身で、他者と、世界とコミュニケーションしようよ

そういうメッセージを持つ『クリパルヨガ』をみんなで楽しめる場があるのは、私にとっては救いだ。


ちなみに、クリパルヨガと同じエッセンスを持つ『フェニックス・ライジング・ヨガセラピー』のトレーニングのため、一般の方にクライアントになって頂く、プラクティス・セッションを今年12月まで行っています。

私は、クライアントの多様性の中でも特に、

・妊娠中、または、産後間もない女性の産前産後のセルフケア
・流産、包状奇胎などの異常妊娠により心身のケアが必要な女性

を対象に、このプログラムが女性たちをサポートする一助となればと思います。

ヨガの経験によらず、どなたにも体験できますので、上記の条件に当てはまる方は、その旨書き添えて、こちらからお問合せください。
状況により受講費は応相談です。
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Posted by 三浦まきこ
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[Yogaヨガのこと
Yoga of Life @下北沢 5周年迎えました。
今年の3月11日は、金曜日。

五年前のこの日も同じ金曜で、やっぱり寒い日だったのをありありと思い出しました。

2011・3・11東日本大震災の日は、私たち夫婦で経営するヨガスタジオ、Yoga of Lifeの下北沢でのリニューアル・オープンの日でもあります。
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その頃から、毎週金曜だけスタジオでクラスを担当し続けてますが、今年は曜日が重なったので、同じ場所でこの日を過ごしました。

今年の3月11日は、瞑想のクラスに10人集まり一緒に座りました。
クリパル・ジェントルも同じく10人で、一緒に呼吸して、それぞれに自分の今の体、心と繋がる時間を過ごしました。

5年前の午後は「産後ヨガ」を担当していて、お母さんと赤ちゃんが数組集まってヨガしてた時に地震が来ました。

今年は、フェニックス・ライジング・ヨガセラピーのプラクティスセッションをしていて、クライアントさんは、自分の中から出てきた本当の願いは「当たり前の毎日を感謝して過ごしたい」ということだと、話してくれました。

寒の戻りで、今も寒いですが、スタジオの祭壇には明るい春の花が飾ってあり、地面が揺れて花瓶が落ちることもなく、無事に一日が過ぎました。

毎日の生活は、決して優しく平和で満ち足りた体験ばかりではないけれど、

それでもこうして、生きていて、

今も呼吸してることの意味を大切に受け取りたい。

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2011.5月スタジオ祭壇前にて。

Yoga of Life下北沢も、ひっそりとですが、無事に5周年を迎えております。
東西南北天地、360°各方面にむけて、感謝の気持ちを送ります。

ありがとうございます。




Posted by 三浦まきこ
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[Diary暮らしのしおり
小さな蓮のように
今年に入ってから蠍座に入っていた火星が射手座へ抜けた。
そのせいだとは言いませんが、本当にそれと重なるように、鉄火のような状態から少し醒めて、改めて気づくことがあります。

私は自分の中に、聖なるエネルギーがない、とはいいませんが、どろどろした生々しいエネルギーもあると自覚していたいと強く思います。

というのも、どうしても人は浄化されたいとか、いつも元気でいたいとか、いい人でいたい、極めつけは悟りたいとか、自分をよりクリーンな存在にしたくて、仕方がないからです。いや、わたしもそうです。
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先だって子どもがインフルエンザで寝込んだときのこと。
目を離せない状態が続いている時期はまだある意味「よかった」のでした。
いや、子どもはそこが一番大変な時だったでしょうが、私は「この子は今必死でウィルスと戦ってるんだ。頑張れ!きっと勝てる!」って祈ってましたし、身体を冷やしたり、吐瀉物を片付けたり洗濯したり、少しでも自分も睡眠を取ったりと、自分としっかり繋がっていて、子どもと一緒に戦ってる気分でいたからです。

自分が辛くなってきたのはその後、何日も隔離部屋に籠らないと行けないことや、最悪の事態は脱してもなかなか思うように快復しないこと、看病する側も集中力を失ってきて、自分は今、何のためにここにいるんだろうって、自分の存在価値を見失うような気持ちになりました。

一方で夫が、非常に忙しい時期で、私達が自宅に戻ってもずっと仕事してたことが、ある意味いい刺激になりました。

私の中には、「人に認めて欲しい」「自分の価値を見出したい」という自己顕示欲があるのですよ。
だから「結果を出したい」「自分の力を発揮したい」と欲するのにそれが出来ないと、鬱憤が溜まるのです。
なんとシンプルな・・・

そして不思議なことに、このもやもやの元は、「自己顕示欲」かー!

と気づいたら、これがすっと落ち着いたのです。正体が分かればハンドリング可能、とでもいいますか。

そして、「私はクリーンです。よこしまな気持ちなんてありません」なんてタカをくくるもんじゃないと思いました。
誰だって生きてるってことは欲があるし、ウンチもすれば、ゲロも吐く(失礼)。

それらをすべて「なし!」にしてクリーンな自分を創り上げることが、人として良く生きる道だとは、全然思いません。

むしろ、みっともないものや恥ずかしいものも、自分の中に「ある」と気づいていることの方が、私には大切に思えます。

なぜなら、さぁ、その「欲」をどう扱おうか、建設的に考えるには、「なんでこんなものがあるのー?!」とパニクったり嫌がるより、もともとあるからねってリアルな人間としての自分を受け止めることの方が、助けになるからです。


そもそもウィルスと違って、それらは元々自分の中にあるものなのだから。
増殖して悪さをし始めたら気づいて、自分の一部として認めてしまえばいい。


今日「立ち木のポーズ」を練習していて、ハラから下は地中、泥の中で、ハートや両腕、頭がそこから伸びていく小さな蓮のようなイメージが沸きました。

自分を大きく見せようとしなくていい。

体の半分は泥のようでも、天と繋がってる部分もちゃんとあって、全部まとめて「自分」。
その責任を引き受けて、生ききりたいなと思った。

そう思っていた矢先、子どもが「ウンチついちゃった」ってパンツを持ってきました。

もちろん、ニッコリ笑って楽勝で、きれーいに洗ってみせました(笑)
Posted by 三浦まきこ
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[Diary暮らしのしおり
看病してました。
3月に入りましたが、2月末からのこの一週間がすっぽり抜け落ちたような感じがしてます。

先週末、子どもの一ヶ月早い誕生祝いに!と初USJ行きの計画を立て、名古屋の実家に向かいました
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実家の父の75歳の誕生祝いしたり、楽しみにしてたんだけど。
食事してるあたりから、発熱してどんどん熱があがり、初インフルエンザでした。

異常な下がらない高熱、処方された薬を服用後の意識状態の普通じゃなさ、嘔吐。
子どもがどうなっても、自分はずっと一緒にいるしかなく、始終心配するしかなく、何もしてやれない。
遊ぶつもりだったので、仕事するPCも持ってきてないし、実家で寝て起きて食べてるだけで、そんな風にしか居られなかった時のことをどんどん思い出しました。

母の用意してくれたご飯を食べていたら、陶芸教室でバイトしてた頃作ったタタラの皿がまだ使われてた。
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20年前くらいに、ロクロを置いて住んでたネズミの出るアパートのことを思い出した。(ネズミ以外にも色々出た・・・)

こんこんと寝る子どもの隣で読んだ「蘇る変態」
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源くんに一瞬でも笑わせてもらったし、重篤な病気から蘇った人が「ここは楽しい地獄だ」って明るく歌うのを聞いて、そんなもんダーなんて納得してみたり。

「現実の生活は、何も起こらないように見えて常に様々な要素が混在している。普通に人だって怒りながら涙が出て、そんな自分にちょっと笑ってしまったり、いろいろと矛盾して混沌として感情をいつも抱えながら真顔で過ごしている。」
こんな文章読むと、今取り組んでいるPRYTセッションでの体験が思い出されたりして、心の中で感じていることにどんどんフォーカスが行ってしまった。

自分の無力さに、鬱憤が溜まり、私も気が病んでエッジでした。

しかし、それでも生活は続くとはよく言ったもので。
本当に、少し良くなってはまた悪くなるのを何回か繰り返しつつ、相変わらず私は微妙に発症せず、今日は子どもと2人で「天然酵母パンとスープの店 トゥルシー」へ行けるまで回復。
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自分が病気になるのとはまた別の、しんどさや、やるせなさを感じました。

でも、ホントにとてもここにかけないくらい、地獄のような状態だった子どもの顔を濡れたタオルで拭いた時、目を開けて、「お母ちゃん」と言ってニッと笑ったあの笑顔は、きっとずっと忘れない。

人が必死で生きようとしてる時、何ができるわけでなくても、側にいる誰かの存在は、無駄ではないと思いたい。
Posted by 三浦まきこ
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[Relationship夫と子供との暮らし
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