クリパルヨガ教師、三浦まきこのブログです。日日の暮らし、子供との関わりや料理など。好きなことを好きなように綴ります。
ヒロシマ
ひろしまヨガピース2010に合わせ
4/24、25、家族で広島、宮島へ行ってきました。

名古屋から実家の母が合流し、息子と4人の旅。

広島でまず感じたのは、人間の素直さ、おおらかさでした。
実行委員の皆さんも、参加者も、タクシーの運転手さんまで、普通にそのままそこにいる。
急ぎ足で過ぎて行く都会でもなく、よそ者に対してクローズする田舎でもなく、
とてもオープンで、リラックスしている。
私もトシも、とても居心地がよくて、ワークショップも、そのエネルギーが生きた場になったように思います。

二日目に行った宮島も、鳥居のまわりで貝拾いしてる人がたくさんいたりして、島と神社が融和してる。
格式ばっていない、おおらかさを感じました。
万物に宿る命に神を見いだす、古来の日本人の感覚が残っているような場所。
会場となったお堂には、ダライラマ師の写真が・・・いらっしゃったことがあるようです。
大好きな方なので、そんな場所でクリパルヨガの体験をシェアできるのは、とても嬉しかった。
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90分の短いクリパルヨガの体験でも、その間に、参加者が感じたことを終わってからたくさんシェアしてもらいました。みんな、ありがとう!

帰途につく前に、ついに原爆ドームへ。
ずっと、そこへ行くのをためらっていた場所です。
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ある地点から先は、空気が濃くなる感じがして、涙が出てきて、しばらくそれ以上近づけなかった。
最初は、当時生きていた人々の感覚や思いにばかり意識がいってた。

でも、しばらくいるうち、今生きてる息子や、たくましく芽吹いている木々、何世代も繰り返しているだろうスズメ、雑草が茂っている今に意識が向いてきた。

癒しっていうのは、きれいごとでなく、簡単にどうにかなるようなものでもなく、こうやって、そこに生き続け、混沌のなかにあり続ける命の中に、もっと生々しく息づいている力のように感じた。

爆心地の碑が病院の傍らにひょいと立っているそのあり方が、命の力、癒しの力の現れのように感じて、畏怖の念が沸いた。

6-7年前に、京都平城京でコンサートを聞いていたとき、ながーい時の流れの中で自分が生きている時間なんて、1つの点みたいなものだと感じて、空恐ろしくなったことがあった。

今回の広島でも、それと同じ感覚を持ちながら、帰って来たのだけど、
今はそれは恐ろしい感覚ではなく、むしろ、あちらで1人、こちらで1人、無数にある命の1つとして今の自分があり、その繰り返しで世界ができていることを思うと、そこに安心感を感じる。
無数の星が一瞬でも光るから、宇宙に銀河があるように、存在の儚さと存在の意味の両方を感じる旅でした。
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Posted by 三浦まきこ
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