クリパルヨガ教師、三浦まきこのブログです。日日の暮らし、子供との関わりや料理など。好きなことを好きなように綴ります。
はじまる。
今夜は新月。

満月や新月にブログをアップする事が多いなぁ。。という余計な事は置いておいて。

今日は実に、いろいろな感情が沸き、今すぐにどうなるというわけではないが、なにかの種がまかれるようなことがいっぱいおきた。山梨の自宅にいる普通の日だったけど、いかにも春分空けの新月の日だった。

朝、最近不調だった婦人科系、泌尿器系の腫れ症状が緩和されてるのに気づく。おつかれ、身体の浄化機能よ。

子どもが幼稚園に行き、夫が出勤してから、フェイスブックで名前の意味を調べる?みたいなアプリがあって、やってみた。
「Miura Makiko 傲慢」だって。「なにおーーー、そうならないように気をつけてるのに」と思って
もう一回やり直したら今度は「主体的」って。
傲慢と主体的は表と裏か?? というより、傲慢と言われたときに出た自分の反応の方がむしろ興味深い。
私の中には、傲慢かつ怠惰な質があるから、そうならないように気をつけてるのかもしれない。ってことは、あたってるってことかもね、などと、しばらく検証が続きそうだ。

家中を掃除して(しばらく家を空けてたしね)花粉が付いてもいいから洗濯物を外に干し、すでに半日保育の春休み仕様の子どもが帰って来てから、パスポート写真を撮りにいった。

passportpic.jpg

私はともかく、若干3歳でこの笑顔・・・かつて営業やってる時に、東大出の先輩(男)に「どうしたらそういう笑顔が作れるんだ?どこで習った?」って聞かれたのを思い出した。
私は笑ってごまかして生きて来たからって心の中で思ったけど、今、私の全開の笑顔を見て育ってる息子は、いい顔で笑うもんだ。

10年、5年先に、このふたりの人間がどうなっているんだろうと、自分たちの行く末を神に祈る気持ちになった。

続いて、「命のメッセージ」展。 明日まで上野原市役所で無料で公開されている。

自動車やいわれのない暴力により、命を奪われた人の等身大のパネルに、亡くなった事由、生前の様子が記され、足下には生前に履いていた靴が置いてある。

靴は、その人の命の跡のようで、死んじゃって悲しいとかそういう事よりも、命のはかなさと確実さの両方を感じて、ぼろぼろ泣いた。

息子は私の涙を見て、展示内容の説明を聞いて、可哀想にねっていうくらいで、すぐに自分の遊びに戻ってしまう。
一方で私はしばらく、一定のモードから出たくなくなってしまった。母は想いに、子は今にいる。よくあるなぁ。

命のことは、私にはとても語れないし、まだほんの一部しか知らないように思う。
でも人が生きるってことは、一瞬だけど、確実に現実なんだって思った。
いつかは無くなる命だけど、同じようにものすごい存在感で今あるんだよなって。

図書館へ行き、たまったDVDや本を返し、リクエストしていた本を受け取り、料理の本もいっぱい新しいのがあってたっぷり借りて来た。ひさびさに燃えて夕飯をつくった。
精米したての2分付き米を炊いて、たまたまみつけたお豆のお肉が今までになく美味しく料理できた。

いやぁ、人生はこれからである。
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Posted by 三浦まきこ
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