クリパルヨガ教師、三浦まきこのブログです。日日の暮らし、子供との関わりや料理など。好きなことを好きなように綴ります。
バクティ:献身、親愛
去る7月3日、梁川ピラミッドメディテーションセンターで初めてのミニリトリートを主宰した。
リトリートはとても好評のうちに終わり、すでに次回のプランを立て始めている所。

ただ、このリトリートを終えた後、いつもの『ワークショップの後』と明らかに違う、と感じたことがある。

私が行ってきたワークショップは、クリパルヨガを紹介するためのものが多く、そうでなければ、アーユルヴェーダや月や星座のエネルギーのことなど、自分の興味と経験をシェアするものだった。
ワークショップを行った後には、行き届かなかったことや反省点を振り返ったり、参加者の期待に答えられたかどうか、不安がよぎることが多かった。

それが今回は、それらの感情から全く自由で、次回はこうした方がよくなるという改善点はあっても、心理的にはとても平穏で、不安や焦燥感はほとんど沸かなかった。

それに気づいた時、最初は、自分自身の中で何か変わったのか?と期待した。

しかし、それもつかの間・・・軽くヨガして頭立ちしてたら、そうじゃないことに気づいた。
(やっぱ、第六感、直感を開くんだなぁ)

今回のリトリートは、完全にピラミッドとそのオーナーである上條さんへの、私からの献身、親愛から、企画して、実現したもので、最初から『自分』や『自分に関わるもののため』ではなかったのだ。
Pyramid meditationAtumi-san.jpg

これまでワークショップをする時私は、クリパルヨガのエッセンスを確実に伝えることへの責任がまずあった。
そして人の期待に応えられる自分であるかどうかや、ワークショップを成功させることへの執着があった。
それらは決して悪いものではないし、プログラムの質を良くすることにも繋がる必要要素だと思う。

しかし、その行為の源、動機の部分に差があると、結果に対する反応が多いに違うのだ。

簡単にいってしまえば、動機が「自分がどうしたい」という思いからであるか、『他者に尽くしたい』という思いであるかの差、だと私は思っている。
その話を友人にシェアした時、彼女が『浄化』という言葉を使い、あ!!!と思った。

これは、バクティ(献身、親愛)の力なんだと。

自分の役割を全うするためや、責任を果たすためでも、自分が主であるには変わりない。
そうではなく、他者へのバクティの実践は、自分自身をこんなふうに浄化するのだ、と理解させてくれたのは、他ならぬピラミッドと上條さんであり、私はこれからの人生のための、大きなギフトを彼らから学ばせてもらったような気持ちでいる。

私は、夫徒志郎と、度々話すのだが、私達がクリパルを続け、ヨガを続け、スタジオを続けているのは、バクティがあるからこそ、なのだ。クリパルヨガの今や過去に係る多くの人達やYTT生への、親愛があるからこそ、これまでやってきたし続けようとしているのだろうと、普段から語り合っている。

これから、自分がクラスやワークショップを行うときには、奥底にあるこのバクティに繋がって、そこから行為したいと思う。
また、ヨガ以外でも、食事を作ったり掃除したり、子に話しかけるときも、愛に繋がっていたい。

1週間後には、アメリカへ飛び、久しぶりにセンターでトレーニングを受ける。
英語でコミュニケーションするときにも、愛から。
初めての体験の際にも、バクティ、愛から行為しようと強く意識するきっかけになった。

こうして、はっきりとバクティ好きであることをブログに書いている自分が、実は、いささか奇妙にも思える。

どうにも、愛などと声高にいうのはおこがましいとか、気恥ずかしいとか思っていたからだ。

しかしあえて、思いっきり宣言する所に今、来ているように思う(からブログに書いている)

なんのかんのいっても、愛ほど強いものはない。
私は愛を溢れんばかりに持ちながら、強く生きる女性でいたいのだ。
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Posted by 三浦まきこ
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