クリパルヨガ教師、三浦まきこのブログです。日日の暮らし、子供との関わりや料理など。好きなことを好きなように綴ります。
ヨガが仕事になるまでのあれこれーヨガを始めた頃のこと
私がヨガをはじめたのは、心も体も、バランスを崩している時期でした。
そういうヨガ教師って、結構多いみたいですね。

ずっと地元の名古屋で暮らしていて、高校、大学、就職と大きなトラブルもなく進んでいたのが、失恋をきっかけにバランスを崩し始めて、会社を辞めて、しばらく家に篭っている時期でした。
しばらく何もしないでいたけれど、夜は眠れないし、自分が壊れていく感じがして、怖かった。かといって、人間はそう簡単には死なない、って分かったときに、何かしようと思いついたのがヨガでした。

恐る恐る市内のヨガ教室に行ってみたら、そこのアルバムに、しばらく会っていない同級生の写真がありました。
「彼女がいたことがある教室なら、大丈夫だろう」そう思って、通い始めました。

そうそう、その彼女と最近再会して、今度一緒に名古屋でヨガを受けます・・・縁ですねぇ。

その頃のヨガは、マットはなくて、畳の上でタオルを敷いて行うスタイルで、動きもとてもジェントルなものでした。
立ちポーズはなかったんじゃないかなぁ。。。アライメントなんて言葉も、聞いたこともなかったし。代わりに先生に、気で、部屋の端まで飛ばされたことがあります(笑)ね、気ってあるでしょ?って。たしかに、一発で納得しました(笑)

同じくらいの年齢の人は少なくて、その頃の私と同様、どこか生きづらくて、困っている人がそっと通ってきてました。ヨガすると、何も考えないで頭を休められることが、わたしにはなによりの助けで。瞑想で明るい光を使われていたのですが、その感覚が気持ちよくて、週に一度か二度、通い続けました。

そのうち、陶芸教室でバイトを始めたり、お店のお抱えシンガーを目指したり、英語で仕事できるようになるために通関士の資格を取ったり、いいことばかりじゃないですが、何か始めて失敗してって繰り返せるくらいになってきて、ここから、生き直そうとして必死だったんだと思います。

一方で、ヨガ教室に長く通うようになると、だんだんと、生徒兼、スタッフみたいに先生の手伝いもし始めて、それに伴って気になることも出てきました。

その頃私にとってはヨガは、なんというか、精神世界に純粋に存在すべきもので、お金の話をすごく嫌っていました。それと、宗教との関係・・・先生=神様みたいに扱われることに、違和感を感じていて、どう接したらいいのかなってよく考えていました。オウム事件があったのも、この頃です。教室に警官がきて、オウムとの関係がないか、と聞かれたことがあります。自分がヨガしてるなんて、とても友達には言えなかったですね〜。

先生や先輩から、教えてみないか?とお話を受けたのは、数年経った頃です。
あなたみたいな若い人でヨガをする人はあまりいないから、教えることもしてほしい、ということで・・・。

はじめてのティーチングはその時なのですが、ティーチングなんて言うのも申し訳ないような・・・すべての言葉が書き出された『シナリオ』みたいなのを、ただ音楽とタイミングに合わせて読むだけでしたからね。
それでも、その当時は、ヨガしながら、感情が出てきて、涙を流したりする人もいたわけです。

そういう人のいろんな思いを受け止めるのがしんどくて、ヨガの指導は精神的にきついって、思ったのを覚えてます。

29歳のとき、「このままここで生きていっても先はない」って思いが強くなって、上京しました。
NYに行くか、インドにいってアーユルヴェーダを勉強したかったんですけど、そんなコミットはまだ出来なかった。
東京が、精一杯でした(笑)

名古屋のヨガ教室で、お別れ会を開いてもらったとき、『翼をください』をお礼に歌いました。

今、YTTの祝賀パーティでこの曲を歌う生徒が時々います。ああ、あの時の私みたいな気持ちかなって、思いながら一緒に歌ってます。

つづく。
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Posted by 三浦まきこ
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