クリパルヨガ教師、三浦まきこのブログです。日日の暮らし、子供との関わりや料理など。好きなことを好きなように綴ります。
小さな蓮のように
今年に入ってから蠍座に入っていた火星が射手座へ抜けた。
そのせいだとは言いませんが、本当にそれと重なるように、鉄火のような状態から少し醒めて、改めて気づくことがあります。

私は自分の中に、聖なるエネルギーがない、とはいいませんが、どろどろした生々しいエネルギーもあると自覚していたいと強く思います。

というのも、どうしても人は浄化されたいとか、いつも元気でいたいとか、いい人でいたい、極めつけは悟りたいとか、自分をよりクリーンな存在にしたくて、仕方がないからです。いや、わたしもそうです。
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先だって子どもがインフルエンザで寝込んだときのこと。
目を離せない状態が続いている時期はまだある意味「よかった」のでした。
いや、子どもはそこが一番大変な時だったでしょうが、私は「この子は今必死でウィルスと戦ってるんだ。頑張れ!きっと勝てる!」って祈ってましたし、身体を冷やしたり、吐瀉物を片付けたり洗濯したり、少しでも自分も睡眠を取ったりと、自分としっかり繋がっていて、子どもと一緒に戦ってる気分でいたからです。

自分が辛くなってきたのはその後、何日も隔離部屋に籠らないと行けないことや、最悪の事態は脱してもなかなか思うように快復しないこと、看病する側も集中力を失ってきて、自分は今、何のためにここにいるんだろうって、自分の存在価値を見失うような気持ちになりました。

一方で夫が、非常に忙しい時期で、私達が自宅に戻ってもずっと仕事してたことが、ある意味いい刺激になりました。

私の中には、「人に認めて欲しい」「自分の価値を見出したい」という自己顕示欲があるのですよ。
だから「結果を出したい」「自分の力を発揮したい」と欲するのにそれが出来ないと、鬱憤が溜まるのです。
なんとシンプルな・・・

そして不思議なことに、このもやもやの元は、「自己顕示欲」かー!

と気づいたら、これがすっと落ち着いたのです。正体が分かればハンドリング可能、とでもいいますか。

そして、「私はクリーンです。よこしまな気持ちなんてありません」なんてタカをくくるもんじゃないと思いました。
誰だって生きてるってことは欲があるし、ウンチもすれば、ゲロも吐く(失礼)。

それらをすべて「なし!」にしてクリーンな自分を創り上げることが、人として良く生きる道だとは、全然思いません。

むしろ、みっともないものや恥ずかしいものも、自分の中に「ある」と気づいていることの方が、私には大切に思えます。

なぜなら、さぁ、その「欲」をどう扱おうか、建設的に考えるには、「なんでこんなものがあるのー?!」とパニクったり嫌がるより、もともとあるからねってリアルな人間としての自分を受け止めることの方が、助けになるからです。


そもそもウィルスと違って、それらは元々自分の中にあるものなのだから。
増殖して悪さをし始めたら気づいて、自分の一部として認めてしまえばいい。


今日「立ち木のポーズ」を練習していて、ハラから下は地中、泥の中で、ハートや両腕、頭がそこから伸びていく小さな蓮のようなイメージが沸きました。

自分を大きく見せようとしなくていい。

体の半分は泥のようでも、天と繋がってる部分もちゃんとあって、全部まとめて「自分」。
その責任を引き受けて、生ききりたいなと思った。

そう思っていた矢先、子どもが「ウンチついちゃった」ってパンツを持ってきました。

もちろん、ニッコリ笑って楽勝で、きれーいに洗ってみせました(笑)
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Posted by 三浦まきこ
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