クリパルヨガ教師、三浦まきこのブログです。日日の暮らし、子供との関わりや料理など。好きなことを好きなように綴ります。
クリパルヨガとは(長文)
クリパルヨガって何だろう?

先日、数名のクリパルヨガ・ティーチャーと話をする機会があり、またちょうどコメントに質問も頂いて、今の自分の言葉で整理しておこうと思います。

定義というか、その意味については、クリパル・ジャパン コンセプトにまとめてあります。

よりまとまったものを簡潔に読みたい方は、こちらをご覧ください。↑

DVDあるがままのヨガ制作の時にも、コピーライターさんや、トシとたくさん話をして、ある程度まとまってるはずなんだけど、書き始めたらやっぱり長くなってしまいました。

・・・ここからは興味のある方、どうぞ。


今の私にとって、クリパルヨガの体験で、なにを得たのか?というと

現実にきちんと向かい合うこと、かなと思います。
本当にリアルに起きていることを受け止めることから始める、ということのやり方を学び、練習しているとでもいいましょうか・・・。

現実に今起きていることは、呼吸、思い、肉体的感覚として主に捉えることが出来ます。
これらすべてはプラーナエネルギーの現れであり、それ自体善くも悪くもない。
判断するのは、心です。

心が不快と感じると逃げたり、見ないようにしようとし、心地よいと感じると渇望する。
そこから無意識の癖になっている反応が起こり、それを繰り返していく。

すべてのヨガと同じように、クリパルヨガも自分のうちに知恵は既にあるといっています。
Jai Bhagwan という挨拶に使う言葉がそれを意味し、うごめく心は本来の自分ではなく、それを客観的に観る目撃意識を持ち、うちにある知恵と繋がり、本来の自分自身に帰る方法を教えてくれます。

クリパルヨガと同時にヴィパッサナー瞑想を始めて変わったのは、主にこのプロセスへの関わり方でした。

例えば、嫌なことがあると、理屈で考えたり、想像を膨らませたりした結果、こう考えればいいんだ、と、きれいごとで片付けようとする。すると、また同じようなことで嫌な思いをするというループを体験することが多かった。

今も同じように嫌なことは起こります。

ただ、それに理屈を付けたり、あれこれ想像したりし始めるとより不快感が増すので、その辺りで一旦、不快感ごとむしろ感じるように意識し始めました。

体に痛みや堅さといった反応が出たら、それに向かって瞑想します。
ホントにやってるんですよ・・・(笑)

ぶっちゃけ、ここまでに相当時間がかかりました。
「不快なものも、そのままにしておく」ことを頭で理解しようにもなかなかできず、嫌がってたから・・・

私にとっては、ヴィパッサナー瞑想(最近は知ってる人も増えたみたいですよね。10日間がミニマムで、ただただ、座り続けます。マントラもなし。クリパルヨガとも繋がりがあります)が転機になったけど、そうせざる得ないところまで、追い込まれないとやらない、というか・・・もっと当たり前になれば、小さな心の揺れにもその都度意識を向けられるかもしれないけれど、大抵はある程度ためるまでは、今まで通り、ごにょごにょと、ああでもない、こうでもないをやってます。

で、いざ、やってみるとですね・・・だんだん、「不快のもと」が表に出てくる。
きっかけになった出来事の裏に、脈々と続く自分の歴史のようなものが見えてくる。

不思議なのは、その混沌とした状態に居続けることができたら、自然と内からハッとするような気づきが浮かんでくるのです。これこそ、泥の中から蓮の花~っていうくらいに。
そして、自分のうちから沸いて来た気づきには、それがなんであれ癒しの効果があります。ああ、そうだったのか、と思うと、何も変わってなくても、リラックスできる。

そうやって『現実に起こったことを受け止める』のを地道に続けていくと、同じループがまた起こっても、前より優しく受け止められるのです。

ここで大事なのは、一度「そっかーーー」と思ったからといって、全部がクリアされたわけではないこと。何度も同じようなことを繰り返すうち、だんだんと、そういう自分を受け止めた上で、自分に出来ることをし、自力で歩いていくのです。
少しづつ、ね。

私にとってクリパルヨガが特別なのは、善し悪しの判断をせず、あるがままを受け止めることにまずエネルギーを向けるところです。これは実際やってみると、かなりエネルギッシュな体験です。

そのクリパルヨガを自分自身が実践し続け、それを伝えるのがクリパルヨガ教師だと私は今のところ思っています。

でも、時にリアリティに留まることは大変、厳しい。
自分が嫌になっても、それをごまかしてはいられなくなる。

だからこそ、
クリパルヨガを実践するとき、大切なのは仲間がいることです。
同じ理解で、お互いに相手をジャッジしたり、アドバイスしたりせず、ただ互いのプロセスを確認し合い、裸の心の言葉をそのまま受け止め、たとえそれがネガティブであっても、それが自分の本質ではないと分かっていてくれるという安心できる仲間のいる環境です。

誰かと、相手がどんな状態であれ、繋がっていようとすること。
それが「愛」だと、うちの夫は言い、私も本当にそうだと思います。

クリパルには、『慈愛』という意味があります


最後に、私は『幸せになりたい』その一願を果たすべく、幸せになれそうなものを片っ端から試し、あがき苦しんだ、どこにでもいる一人の女性です。
クリパル仲間のはるがよくいっていますが、私も、これまでの人生の中で今が一番幸せだといえます。
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Posted by 三浦まきこ
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[Yogaヨガのこと
comment
幸せ
kripalushiotsuさま

こんにちは。
誰もが「幸せになるため」に生まれてきたんですよね。それぞれの幸せ。そこには究極の愛=自由と許しと信頼と全受容と・・全てがつまってますね。

わたしたちはその幸せを目指している。

今の幸せがなければ未来の幸せもない
今の幸せをさらに積み重ね、幸せになりましょうv-238
2009/09/11 17:20 | | edit posted by yosei
Re: 幸せ
>yoseiさま

こんにちは。
そうですね。
自分にとってなにが『幸せ』なのか、は一人ひとりにとって違うようで、同じようなことなのかもしれないですね。

幸せっていうのは、「なるもの」ではなくて、状態のことなのかなと思います。

今あるものを積み重ねていく。
ないもの、でなく、あるものに目を向けると、いろんな物事に気がつき、ありがたい気持ちになります~。

コメント頂き、ありがとうございました。
ひとつひとつ、積み上げていこうと思います。

makiko


2009/09/11 22:08 | | edit posted by makiko
「なる」と「いる」
kripalushiotsuさま

コメントをいただいた後、「なる」と「いる」がとても気になり、私なりに考えていました。

ヨガで例えると「幸せ」があるアーサナの状態だとしましょう。
まずはそれに「ならなければ」「いる」ことはできない。ただその違いかなって思いました。もちろんそのアーサナの中に長くいてもいいんですけど、きっと気がついて手放しするときが来る。それがアーサナを抜けるとき。そして必要ならば次のアーサナになってその中にいる。そんな感覚です。

健康もそうです。健康にならなければ健康でいることはできない。そんな感覚です。

それよりも、自分自身にとって「何が幸せか?」ということが大切なきがします。
・家を持つこと
・家族を持つこと
・自分自身の夢を実現すること
だったり・・・

それぞれがいろいろな「幸せ」の価値観を持っている。それでいいと思うんですよ。

ただ、クリパルヨガさんの目指すところは、私たちの目指すところと同じものを目指していると私は思っているのです。それはひとつだと。
2009/09/16 17:55 | | edit posted by yosei
Re: 「なる」と「いる」
yoseiさま

なんだか、混乱させてしまったようですみません。

自分にとっての健康や幸せについて、いろいろと考えを巡らせたり、自分の価値観を確認しながら生きてければそれでいいと私も思います。

ここに書いているのは、あくまでも私個人の体験や価値観をもとにした日記のようなものですので、分かりにくいところも多々あるかと思います。

健康になりたい、と思ってもなれないときがあるように、幸せになりたいと思ってもなれないときもありましたから、私は「なれる」ように思いつく限りのことををしました。
10年以上そうやって突っ走ったあとに、「きりがないなぁ」と思い、次々追い求めていることが私の思う『幸せ』とはちょっと違うなとおもったのです。
今は、そのままの自分自身が居心地が悪くても、そのままでいながらもう少しリラックスしていようと思っています。
私にとってはそれが幸せでいるということなのです。。。が、微妙な話ですよね。
わからないなぁと思われるようでしたら、そのままでいいです~。

でも、私個人の考えていることに興味を持っていただけてとても嬉しかったです。
今後ともよろしくお願いいたします。

makiko

> kripalushiotsuさま
>
> コメントをいただいた後、「なる」と「いる」がとても気になり、私なりに考えていました。
>
> ヨガで例えると「幸せ」があるアーサナの状態だとしましょう。
> まずはそれに「ならなければ」「いる」ことはできない。ただその違いかなって思いました。もちろんそのアーサナの中に長くいてもいいんですけど、きっと気がついて手放しするときが来る。それがアーサナを抜けるとき。そして必要ならば次のアーサナになってその中にいる。そんな感覚です。
>
> 健康もそうです。健康にならなければ健康でいることはできない。そんな感覚です。
>
> それよりも、自分自身にとって「何が幸せか?」ということが大切なきがします。
> ・家を持つこと
> ・家族を持つこと
> ・自分自身の夢を実現すること
> だったり・・・
>
> それぞれがいろいろな「幸せ」の価値観を持っている。それでいいと思うんですよ。
>
> ただ、クリパルヨガさんの目指すところは、私たちの目指すところと同じものを目指していると私は思っているのです。それはひとつだと。
2009/09/17 08:33 | | edit posted by makiko
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